VRは〇〇と定義するのはあまり重要じゃない。大事なのは信じる心やで。

VR元年が終わり、当ブログも開設から1年以上が経ちました。ブログを通じて読者、業界関係者の方、SAO好き、気づけば色々な人と出会いました。

 

このブログを始めた時世間は「VRってなぁ~に?VRってなんだYO~?」「バーチャボーイ?バーチャボーイ?ドラーゲナーイ?」っていう人がかなり多かった印象があるけど、2016年「VR元年じゃー、やっほーい」って騒がれたりして大いににぎわいました。

 

1年~2年前くらいまでは「VRって知ってる」って聞いても「VR?なんかのさなぎとかじゃない?」みたいな感じだったのが、最近では「VR?あ、知ってる!」と返ってくる人も増えましたね。

 

VRという言葉の認知度だけで言えば7割~8割程度は超えるくらいにはなったんじゃないかな?で、このタイミングで僕は『VRってなんなんだろう?』ってふと疑問に思ったのよね

 

いや本当今更なんだよって感じなんだけど、VR元年から一年たったこのタイミングで『VRとはどうあるべきか』ってことを偉そうにふんぞり返って書いてみようかなーなんて思った次第なんですがあまり大それたことは書きませんので鼻くそほじりながらでも読んでください。

※酔ってます。

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VRは『現実コストをカットする技術』だと思うんだ

FOVE0

そもそもVRってのは一体どういう意味か。皆大好きWikipediaで調べてみると

バーチャルリアリティ(英: virtual reality)とは、現物・実物(オリジナル)ではないが機能としての本質は同じであるような環境を、ユーザの五感を含む感覚を刺激することにより理工学的に作り出す技術およびその体系。

こんな風に書かれています。ふむふむ、もう何百回も見たなこの文章。

うん、間違いない。

で、僕が思うVRってのは

「VRとは現実でかかるコストを軽減する技術」ってことだと思ってます

「コスト」ってのは例えばお金、労力、時間とか、VRはそれらのコストを少なくしてあげて人に体験してもらう技術だとおもうの

で、

旅行、食事、性生活、娯楽、なんでもいいんだけど、今すでに存在しているサービス、商品、体験を今よりも低コストで疑似体験させてくれて且つ問題解決になっているかどうかが良いVR悪いVRの分かれ道なんじゃないかなって最近おもうんだ

バーチャルリアリティという技術の核には【今まで手が届きそうで届かない場所に手が届くようになる】という考えがいつもあるんだね

今のVRは新ジャンルのビールみたいだねって言うてます

僕の感覚的には、VRって第三、四のビール(新ジャンル)にみたいなもんだと思います。ビールという本物があってそれを疑似的に再現した発泡酒や新ジャンルのビールがVRね。

 

第三、四のビールってのは酒税法の網をかいくぐりなるべくビールに近づけようと努力したメーカーさんの汗と涙の結晶です。

 

勿論味がビールに劣るからってんで認めてくれない人もいるけど、こういう新ジャンルのビールってお金がなくてビール飲みたい人にとっては結構うれしい存在です。

 

VR業界の現状も今こんな感じだと思うんです。VRを認めてくれない人も多いけどたしかに需要は存在していて、その需要にこたえる為にクリエイターの人たちが今この瞬間も新たな世界を作り上げているんだなって。

信じる心があればそれはVR

全然ちげーよバッキャロー、第三のビールになんかたとえんじゃねーよコンニャローとか思う人もいるかもしれないけど、そしたら、うん、ごめん。超ごめん。マージごめん。

 

あのね、謝りついでに言っておくと、実際の所「VRとは〇〇である」と定義するのはそんなに重要じゃないなーって思ってて、『〇〇だからVR』『〇〇じゃないからVRじゃない』というのは、ナンセンスで不毛な議論だとも思ってるのよ

 

いや勿論願望としては勿論あるよ?こういうものであってほしいなぁっていう願望はね?

でもよくよく考えてみたら、VRゴーグルをつけていなければVRじゃない、なんて事もないし、ただの360度見まわせるだけの動画も、立体に見えるだけのグラビア袋とじも、その人がそこにVRを感じればそれはVRって事になる

VRをVRと決めるのは当人だけで第三者は関係ない。

VRってのは結局人間の脳を錯覚させて体験させる技術だから、本を読んでて物語の世界の情景が脳内で再現されたり、ホラー映画を見て恐怖を感じたり、アニメの世界観に没入して感情を揺り動かされるのも立派なVR体験です。

 

VRが脳を錯覚させる技術である以上、僕らが思ってるよりもバーチャルリアリティってとっても身近にある存在なのね。

99%の人が違うといっても1%がバーチャルなリアリティを体験したのならそれは誰がどうみたってVRだしそれを否定する事は出来ねーもん。

だから結論としてはその人が「これはVRだ」と信じる心さえあればそれはVRでいいんだよってことにしてあげてほしいんだって言うてます。

最期に

…と休日に家でクリアアサヒを飲みながら思った次第でこの記事をどう締めるか全く考えてなくて、本当どうしようもないブロガーだな僕は。

めんどくさいからとりあえず笑っておこっと。へへへ。

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